中尊寺金色堂 岩手県平泉町の世界遺産を訪ねる

金色堂で有名な中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県の平泉町にある天台宗東北大本山の寺院です。

「中尊寺金色堂」は国宝建造物認定の第1号なのだそうです。

そして更に中尊寺周辺は、「平泉の文化遺産」として2011年に世界遺産に登録されて、世界的に有名な寺院となっているんですね~。

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中尊寺 拝観

中尊寺は建武4年(1337)の火災で多くの堂塔、宝物を焼失してしまったそうです。

しかし、1124年(天治元年)に奥州藤原氏初代清衡公によって建てられたという金色堂は災害から免れて、その後900年近い現代まで無事に当時の姿を伝ているということです。

中尊寺の境内マップ(HPよりダウンロードできます⇒http://www.chusonji.or.jp/)

月見坂

中尊寺は標高130mくらいの小高い丘陵にあるので、参拝はここから坂を登っていきます。


参道は樹齢300年ともいわれる巨木の杉並木があります。江戸時代に伊達藩によって植林されたものだそうです。

東物見台

物見台からの景色と、巨木が立ち並ぶ山の空気がとても気持ちいいです♪



ここから見える水田の辺りが衣川古戦場なのだそうです。

ここで、鎌倉幕府の源頼朝が弟である源義経を庇護している藤原泰衡に対して義経を殺害する事を命じたんですね~。

強大な頼朝の力に逆らえなかった藤原泰衡は義経を急襲し自害へと追い込みました。
その時弁慶が、立ったまま往生したというお話は有名ですよね。

源頼朝との対立に備えて、父の秀衡に庇護されていた源義経を「大将軍として国務せしめよ」という遺言を破って、頼朝に恭順の意を示したのでした。

しかしその後、結局は源頼朝によって滅ぼされてしまうという運命が待っていたですね~。

松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡. (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」という俳句が知られています。

弁慶堂

参道沿いのお堂は、ほとんどが江戸時代中期に再建や移築されたものなのだそうです。
ここのお堂は義経・弁慶の木造が安置されています。

峯薬師堂

薬師如来の座像がご本尊(讃衡蔵に安置されている)で、病気平癒にご利益があるそうです。
お堂には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置されています。

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中尊寺 本堂

中尊寺というのは、この山全体の総称なのだそうです。

本寺の「中尊寺」と山内の大徳院、地蔵院、瑠璃光院などの17ヶ院の子院で構成されているということです。

寺伝によると、嘉祥3年(850年)、円仁(慈覚大師)が開創したとされていますが、実質的には奥州藤原氏初代当主の藤原 清衡(ふじわら の きよひら)の開基ということだそうです。

ですから奥州藤原氏ゆかりの寺して知られているんですね~。




本尊は丈六の釈迦如来で、像だけの部分は約2.7mの高さで台座や光背を含めると約5mになるそうです。

本尊両脇にある灯籠は、宗祖伝教大師最澄以来灯り続けるという「不滅の法灯」なのだそうです。

立派な鐘楼があります。

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中尊寺 金色堂

中尊寺創建から姿を伝えているのは金色堂だけなのだそうです。

天治元年(1124年)に建てられ、堂の内外まで金箔で覆われた、まさに金色のお堂ですね~。

金色堂は外側からすっぽり包む形で鉄筋コンクリート造の建物で覆われ、更にガラスケースに収められいます。
ですから写真に写っている建物の中に金色堂があります。

中尊寺のHPには次のように説明があります。
⇒http://www.chusonji.or.jp/

須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。

この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。

孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。

血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。

金色堂は撮影禁止なので、参考にパンフレットの写真を掲載しました。
須弥壇の写真ですね~。

金色堂そのものは中尊寺のHPにあります。
⇒ http://www.chusonji.or.jp/know/konjikido.html

先にも書いてありますが
中尊寺は嘉祥3年(850年)に比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれましたが、奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行わたということです。

清衡公の中尊寺建立の趣旨は「みちのく」といわれた辺境の地に「仏の教えによる平和な理想社会(仏国土)」を具現するものだったそうです。

親兄弟同士でも骨肉の争いを余儀なくされた清衡公が非戦の決意を現したものでもあったそうです。

平等思想に基づく仏国土を平泉の地に現し、誰でも境内に入り詣でれば仏さまに頭を撫でていただくことができる場を造ったのだそうです。

平泉はおよそ100年近く戦争がない繁栄の時がありましたが、平氏を倒した源義経を擁護した秀衡公が亡くなってしまうと、四代目の泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね、ついに義経を自害に追い込んでしまいました。

その泰衡公も源頼朝に攻められて文治5年(1189年)奥州藤原氏はついに滅亡してしまったんですね~。

奥州藤原氏は滅亡してしまいましたが、中尊寺は「鳥羽法皇御願」の寺とされて源頼朝の庇護を得て存続していったということです。

中尊寺ハス

中尊寺には「800年の時を経て現代によみがえった奇跡の花」ともいわれる蓮(ハス)があり、7月中旬から8月中旬には沢山の花が咲いています。

昭和25年(1950年)の金色堂発掘調査の時に約100粒の蓮の種が見つかったそうです。

その種の中で発芽しそうなものを、古代ハスで有名な大賀一郎博士に託されました。

その後、門弟によって開花することが出来て「中尊寺ハス」と名付けられて中尊寺の池に植えられたのだそうです。

その株が全国各所に分けられているということです。
中尊寺ハス⇒》白水阿弥陀堂 福島県いわき市の古代ハスと平泉ゆかりの地を訪ねる《

中尊寺へのアクセス


宿泊情報⇒》中尊寺 周辺のホテル・旅館《

■中尊寺
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
TEL:0191-46-2211
HP⇒http://www.chusonji.or.jp/

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