水無瀬神宮 大阪府島本町の風鈴と離宮の水で有名なパワースポットを訪ねる

水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にあって、後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇をお祀りしている神宮です。

そして境内には「名水百選」に選ばれた「離宮の水」というのがありましたよ。

水無瀬神宮へ参拝

水無瀬駒発祥の地

参道入り口に「水無瀬駒発祥の地」っていうのがありました。
将棋の駒の文字の書体はたくさんあるそうですが、現代の駒師が採用している書体は少なくって「四大書体」と呼ばれる中のいずれかを使用している場合が多いそうです。

四大書体とは、錦旗書(きんきしょ)、水無瀬書(みなせしょ)、巻菱湖書(まきりょうこしょ)、源兵衛清安書(げんべえきよやすしょ)という書体なのだそうです。その一つによる水無瀬駒の発祥の地ということです。

現在の将棋は本将棋と呼ばれる縦横9マスの将棋ということですが、
将棋って、大大将棋(17×17マス)や大将棋(15×15マス)、中将棋(12×12マス)など古将棋って呼ばれるものも含めるともの凄く種類があるそうですよ。

水無瀬神宮の登録有形文化財

本殿、拝殿及び幣殿、手水舎、神門及び築地塀など
登録有形文化財がいくつもありました。

神門と石川五右衛門

鳥居をくぐって少し行くと神門があります
雰囲気たっぷりの神門です。

なんと!!
この門に石川五右衛門の手形が~

「水無瀬神宮にある宝刀を盗もうとした五右衛門ですが、
神の威力によって神門から中に入ることが出来なかったため、手形のみを残して立ち去ったという」

金網がかかっている部分がそうらしいですけど
よくわからなかったです~笑笑~。

水無瀬神宮 離宮の水

「離宮の水」は大阪府内で唯一「全国名水百選」に選ばれた水なんだそうですよ。
境内にはその水汲み場もあって、連日早朝からたくさんの人達が訪れているようです。

ミネラル分が多くて高度は高めのようですが「軟水」ということです。

サントリーのウイスキーの仕込み水も同じ水脈なんだそうですからね~
飲んでみるとほんととっても美味しいお水です。

水無瀬神宮 拝殿及び幣殿

落ち着いたたたずまいの境内

拝殿

水無瀬神宮は しっとりした神宮でした 。お持ち帰りできる霊水「離宮の水」もよかったです。

水無瀬神宮 祀神

神宮は後鳥羽天皇の離宮だった水無瀬殿の跡に建立されたということです。

承久の乱で隠岐に流されて亡くなった後鳥羽上皇の遺勅により、1240年に水無瀬信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立して上皇を祀ったのが始まりということです。

江戸時代までは仏式だったそうで、明治時代に神式となって水無瀨宮に改称されたということです。
土御門天皇・順徳天皇の神霊も迎えて合祀したそうです。

昭和14年(1939年)に官幣大社になり水無瀬神宮と改称されて現在に至っているということです。

祭神
・後鳥羽天皇(1180-1239)
鎌倉時代の第82代天皇で安徳天皇(あんとくてんのう)の異母弟です。安徳天皇は平清盛の孫になります。
平家が没落し、都落ちした安徳天皇に代わり,祖父の後白河法皇の院宣で神器が無い状態だったのですが4歳で天皇に即位しました。
41歳の時に源氏から政権を取り戻そうとして、承久の乱を起こしたのですが大敗をして隠岐の島に流されてしまったそうです。

結果的に対戦相手だった、北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将ということで歴史に名を残したということですね。
後鳥羽天皇は武芸から和歌まで多彩な才能があったそうですよ。

・土御門天皇(ちみかどてんのう)
後鳥羽天皇の第1皇子。父の後鳥羽天皇の譲位して、3歳で天皇になりました。ですから事実上後鳥羽上皇による院政が敷かれていたということですね。
承久の乱では、土御門上皇は何も関与していので処罰の対象ではなかったのですが、父の後鳥羽院が流されてしまったので、自ら申し出て土佐国に流されたそうです。

・順徳天皇(じゅんとくてんのう)
後鳥羽天皇の第三皇子。穏和な土御門天皇とは対照的で、後鳥羽上皇から大きな期待を寄せられていたそうです。
土御門天皇の譲位によって14歳で即位しましたが、後鳥羽上皇による院政は継続されたそうです。

上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的だったそうで、そのため24歳で子の仲恭天皇に譲位して承久の乱に参加したのですが、惨敗して倒幕は失敗に終わりました。
その結果、佐渡へ流されて46歳で亡くなったということです。

水無瀬神宮を参拝したことで、改めて後鳥羽天皇からその子共へと受け継がれていった歴史を感じることができました。

最後にこんな面白いというか、不思議というか、それとも意図されたのかは分かりませんけどこんな事を知りました。

それは百人一首なんですけど
第1首と2首は、天智天皇と持統天皇の親子の歌なんです。天智天皇は蘇我氏を倒して大化の改新を成し遂げたヒーロー的存在といわれてますよね~。
二人とも波瀾万丈の人生ではあったけど、百人一首の歌は穏やかでステキな歌です。

【天智天皇】
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
【持統天皇】
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

どちらの歌も有名なので知っている人も多いかなと思います。

そして、百人一首の最後も親子の天皇で第99首は後鳥羽院、第100首は順徳院だったんです。
こちらの二人は、鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱で失敗して島流しになり二度と都に戻ることは無く無念の死となってしまったそうです。

和歌も対照的な歌なんですよ~。
【後鳥羽院】
人もをし 人も恨めし 味氣なく 世を思ふ故に 物おもふ身は
【順徳院】
百敷や 古き軒端の しのぶにも 猶あまりある 昔なりけり

はっきりした意味はわからなくても、どことなく寂しい思いとか雰囲気が伝わってきます。

天智天皇はこちらも参考にしてくだいね~。
近江神宮 ちはやふる かるたの聖地を訪ねる

水無瀬神宮 御朱印

水無瀬神宮 へのアクセス


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■水無瀬神宮
〒618-0011 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
TEL 075-961-0078